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    Author:ももとまと
    お隣の国で孤軍奮闘ぼやいてます
    K国をおすすめするブログではありません、あしからず。

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    ルールはルールでっせ?

    みなさん、突然ですがNHK朝ドラはご覧になっているだろうか?
    今日の回、見ました?奥さん!
    ええ話でしたわなぁ~・・・ちょっとホロリと来ましたよ。
    そんなわけで、昨日も12時45分からのNHKインターナショナルの再放送を見てから、
    意気揚々と長女を連れて散歩にでたのであります。

    昨日の気温は5度。
    久しぶりに信じられないくらいあったかくて、
    思わず自転車なのにセーターを着ずに出てしまい、
    帰りにちょっとだけ後悔したのである。

    ところで、いつも散歩に行っている公園は、
    自宅から歩くと20分弱、自転車だと10分もかからないところにある。
    公園までの道路が、歩道がない上、交通量が多く、ごみも多く、
    おまけに歩くと粉塵で長女の足が靴下をはいたように真っ黒になってしまうので、
    公園までは自転車に乗せて行くことにしている。

    公園に入る直前が三叉路の交差点になっていて、時差式信号があるのであるが、
    私が長女を乗せて走ってくる路地からの交通量が一番少ない。
    それ以外の2車線がよく車が行きかっている。
    ちょうどそこに差し掛かった時、
    信号はこちらの方が青で、残り15秒の表示が出ていたので、
    スピードを上げて渡り始めたのであるが・・・・


    なぜか右方向から悠然と走ってくる車が。


    見れば1台のタクシーである。

    当然だが、こちらが青である。
    ということは、タクシーがまぎれもない「信号無視」をして、
    しかも横断者のいる横断歩道をまさに横切ろうとしているのである。


    何考えとんねんゴルァ!!Щ(◣д◢)艸


    である。
    横断者(つまりアタクシ)が見えんのか!!というイキオイで、
    あくまでスピードを緩めずキッと車を睨み据えたが、タクシーもスピードを落とさない。
    しかし、こちらとて残り数秒のところで渡りきらねば、次の車が来てしまうため、
    渡りきってしまわねばならないから、スピードは落とせない。

    結果、あわや接触、というところで、タクシーが私の自転車の後ろを走って行ったのである。


    K国のタクシー、結構こういう基地外運転をする輩が多い。
    いや、タクシーにかかわらず、普通の人でも信号無視はよく見かける。
    特に深夜の人通りの少ないところは要注意だ。
    青信号なのに轢かれかけた、なんていう、笑えない話を聞いたこともある。
    一度ならず、私も自分が乗ったタクシーが信号無視をして、
    慌てて「赤でしたよ!急がなくていいので止まって下さいよ!(#`皿´)」と注意したことがある。
    念のために言っておくが、片田舎の人影もないところではなく、立派な街中である。
    が、返事は無言もしくは、たいていこうだ。



    「いや、車も通ってないし、人もいないでしょ」



    いや、赤信号は赤信号やねーん!!
    人がいなかろうが、車が来なかろうが、 停まるのが赤信号や!!(#`皿´ノ)ノ





    皆様、考えていただきたい。
    慰安婦問題にしろ、竹島(断じてトクドなど存在しない)にしろ、
    国際法とか、基本条約に則って解決済みの問題を踏み倒している今の韓国。

    彼らにとって、ルール(あるいは法)とは、
    お上が自分たちの利害を考えずに「勝手に」決めたものなんである。

    だから必ずしも従う必要はない。
    自分的自由が優先するときもある(赤信号無視なんかもそうだ)。
    むしろ、勇気をもってルールを踏み倒した者を賛同する趣さえある。
    そして、身内、友人がルールを犯した場合、
    それはいけないと諌めるのが良き身内・友人と思っている日本人、
    それは仕方ないし、かばうべきだと言いだすのが韓国人。

    自分たちの利害>ルール、なんである。

    ネットなどを見ていると、
    韓国はなぜ法に則って解決したものを守れないのか、
    なぜあんなむちゃくちゃな論理を恥ずかしげもなく振りかざして日本を侮辱するのか、
    なんていう書き込みをよく見かけるが、
    こういう方々は韓国人のこのルールに対する考えをわかっていない、と私は思う。
    この点では日本人の常識の方が世界の常識に近いと思うが、
    韓国、あるいは韓国人というものを日本人の常識に当てはめて考えてはいけないのである。


    だってそうでしょ?
    常々私は言っているが、赤信号すらを守れない人間が、ルールを尊重できますかいな。





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    その解釈間違ってます。

    この直前の記事で、ホンデにあるドイツ式パンケーキについて書いたが、
    今回はそこへ行くまでの地下鉄の中での話である。

    途中乗り換えるまで、乗り込んだ地下鉄は、
    立っている人がまばらな感じの、まあまあの空き具合だった。
    始めは私も空席がなく立っていたが、
    3つ駅を行った先でちょうど目の間の座席が空いた。
    他に立っている人もおらず、普通に座って、本など読んでいた。

    そして次の駅に到着。
    オバハンが2人、どやどやと大声で何やら話しながら乗ってきた。
    同時に、私の右隣の人が降りて行った。

    オバハンは2人。
    空席は1席。
    オバハンのうち、年上っぽい方が当然のように(日本のように譲り合いもなく)座り、
    もう一人がその前に吊革につかまって立つことになったようだ。
    私はまったく気にせず、普通に本を読んでいた。

    ところが、である。

    立っている方のオバハンは、歳の頃は40代後半から50代前半、
    機関銃のようにとめどなく大声でしゃべり続けているところを見ると、
    元気は有り余っているように見える。
    というか、病気とか、病弱とか、足が悪いとか、そういう風には一切見えない。
    が、このオバハン。
    ちらちらと私の顔を見る。それも眉間にしわを寄せているのだ。
    そしてよくよく聞いていると、席を譲らない私に対して、ちくちく嫌味を言ってるようなのだ。

    外は寒かったし、結構歩いたから疲れたわ~、
    足が痛いわ~、
    この時間やったら座れると思ってたわ~、
    私より若いんとちゃうの?
    聞こえてないんかしら?
    立ったままだとしゃべりにくいわ・・・
    などなど。

    ま、よくある光景である。
    が、なんだって私が、ただ座っているだけでそんな嫌味を言われねばならないのか。
    申し訳ないが、K国に来てから、よほどの年寄でないかぎり、
    私はこうやって言われる場合には、席を譲らなくなった。
    年長者を盲目的に敬え、という解釈を誤ったK国的儒教精神が大嫌いだからである。
    加えて、この手のオバハンに限って、座らなくとも十分なぐらい元気だったりする。

    完全に無視して、そのまま本を読み続けていると、
    ちらっ、ちらっ、とこちらを見ている気配が感じられる。
    隣に座っている、このオバハンの連れは、特に何も言ってはいないし、
    何のアピールもしてこない・・・自分がすでに座っているからか?

    結局、視線と文句を完全に無視して、電車に揺られること数分。
    わずか5駅でオバハンは降りて行った。

    5駅ですよ、5駅。


    K国のもっとも嫌いなところの一つは、この手前勝手に解釈をゆがめた儒教精神にある。
    とりあえず、年上だったら文句言われても黙ってろ。
    年上だったら、何されても喧嘩しても敬語で(失笑)!
    年上だったら、席は黙って譲るべし。
    年上だったら、理不尽な要求を突き付けてきても、支離滅裂な文句言ってきても、
    決して口答えするなかれ。
    etcetc....

    この「年上」がイコール聖人君子なら喜んでそうしようとも。笑
    何度も言うが、孔子様は決してこんな風に儒教の精神を説いてなどいない。
    尊敬されたいならば、尊敬される人間にならなければいかんのである。
    敬われる、という行為は、他人の頭に足を置いて、
    無理やり踏みつけて頭を下げさせる行為ではない。
    人間、尊敬できる人間に出会えば、自然と頭を垂れるものではないか。
    それを、ただ無駄に歳を食ったからといって、
    傍若無人に振舞い、それに異を唱えるものに食って掛かる。
    見上げた儒教精神である。


    そんなわけで、そういうエセ儒教には騙されないワタクシ、
    こういうオバハン(時にはオッサン)には、徹底して譲ってなどやらない。
    地下鉄を待っているときも、横入りして順番を抜かそうとしたオバハンに、
    「私もみんなも並んでるんですけど?」と厳寒のシベリア的氷の視線でもって、
    文句を言ってやるのである。
    黙ってたらソンだ。

    K国に住んでると、根性が薄汚れてくる気がして、本当に嫌だと思うこのごろである。



    こりゃなんだ?

    ここ数日、ブログを書くのをさぼっている間に何をしていたか、というと、
    単純にだらだらと暮らし、合間に友人たちと食べ歩いてたんである。

    で、スイーツのレベルがほぼ残念なK国にて、
    めずらしくうまいケーキ?に出会った。


    これだ。

    どうも、ダッチベイビーというドイツ式パンケーキらしい。
    しかし、パンケーキらしからぬ、外はカリッと、中はモチフワな生地なんである。


    何を隠そう、ワタクシ、お菓子の街の出身である。
    よって、スイーツに対するバーはおそらくちょっと高めだと思われる。
    たらふく夕食を食べた後で、ふらりと入ったカフェで、
    ウマイと思わせるのはやはりウマイのだろう。
    ちなみにこれはストロベリーだが、中身は選ぶことができ、
    他にバナナやら、オレオクッキーやら、ブルーベリーやら、いろいろあった(はずである)。
    夜遅く行くと、コーヒーが終了している場合がある。
    テーブルは10ほど、ただし2人用が多い。



    家に帰って検索してみたらば、ちゃんと日本語でヒットした。

    POLY CAFE AND TEA
    서울시 마포구 서교동 346-6 2층

    営業時間は23時までとなっているが、日曜に行った我々は22時と言われたので、
    やはり早い時間に行くのがよさそうだ。
    連れて行ってくれたN嬢に感謝!である。

    新年早々・・・

    日本のお正月に合わせて過ごそうと思っていたら、
    うっかり過ごしすぎて7日になってしまいました。


    みなさま、遅まきながら、明けましておめでとうございます。



    今年もこのご挨拶ができて嬉しい。
    アラフォーにもなると、身内縁者に不幸の一つや二つ、
    一年のうちにあってもおかしくないからだ。



    ところで。


    ここK国では、言わずと知れた、旧正月を祝う風習であるため、
    西暦の新年はほとんど祝わない。
    というか、お正月感ゼロである。
    カウントダウンあたりはやってるみたいだけど、
    初詣もおせちもないK国、あるのは1日の休みだけ。
    お店はほとんど閉まり、開いているマートはごった返す人ごみである。
    そもそも年末に向けて、大掃除もしないしね(K国では春が大掃除)。

    お正月感ゼロ、というのは、いたるところで感じられる。
    大して用もなかったが、外に出たいという旦那氏のために、
    近くのマートまで行ってみた。
    来ている人は皆、普段着。
    ここでいう普段着とは、日本人の普段着ではないですよ。
    それパジャマ?なトレパン上下とか、トレンドやされおつとはかけ離れたレギンスや、
    いまだに手編み風の化繊ダボダボ毛玉つきつきニットとか、
    そういう感じの手合いが多いのです。
    そして、並んだレジの前の人物、あのどデカイカートに山盛りてんこ盛り、
    ジャンクなラーメン、冷凍食品、ジュース、お菓子、出来合いのおかず。
    何で今日その買い物?という疑問は余計なお世話であるだろうが・・・
    元旦ぐらいは、と多くの人は身だしなみを整え外に出るものだと思っていたが、
    ここでは1月1日はただのカレンダー上の新年なのです。

    2日になると、何事もなかったように会社は始まり、
    旦那氏は出勤し、私はまただらだら主婦に戻って、いつもの日常である。

    3日には友人と約束があったので、ソウルはホンデまで出かけていた。
    いつもの乱暴暴走バスと地下鉄に揺られること小一時間。
    イヤフォンを忘れて出てしまったので、
    いつもはまったく素ムシの周囲の会話が、
    この日は嫌でも耳に入ってきたのであるが、改めて思ったことが一つ。


    K国人て、金の話(しかも厭らしいぐらい具体的に金額を言う)、
    何かが高かったか安かったかの話、子供の話、それぐらいしかネタがないのか?


    バスで私の隣に座っていたオバハンは、
    携帯電話で誰かにずーっと話していたが、
    サムソンのタブレットがどこそこでいくらだった、
    私はいくらで手に入れたから安かったわ!得したわ!という内容を、
    延々と飽きもせず説明していた。
    それが、驚くような差額でげっとんならわかるが、微々たる差額。
    さすがはお金に細かい国民性である。

    そして、乗り継いだ地下鉄内では、これまたオバハン2人が大声で話している。
    内容はまたまた、金。
    それも長男にかなりの額をやったのに、一つも孝行しないとかそんな話。
    聞いている方のオバハンも、子供にどれだけお金がかかったかを、
    これまた厭らしくも金額まで挙げて話している。
    いずれにせよ、公衆の面前で大声で話す内容ではない。


    ふと、この会話を耳にしていて思った。
    日本だったらどうか。

    自分が通勤していたころの電車内の会話を思い出すと、
    昨日みたお芝居の話、仕事の話、テレビに出ていたミュージシャンの話、
    今度友人と行く予定の美術展、映画の話、読んだ本の話・・・
    お金のことをあられもなく大声で話すのは恥ずかしい、という社会的通念がある国だから、
    お金のことが少ないのはわかる。
    が、子供のこと(K国ではほとんど、教育かお金の話が絡む)、お金のことに終始することはない。
    おそらく生活にそれ以外の話題が持てる余裕があるからだと思うのだ。
    もちろん、K国に住んでいて日本並みの生活クオリティで過ごしている日本人もいるだろうが、
    私を含め、ほとんどのK国人、そしてその配偶者は、何国人であれ、
    余暇に使うお金、趣味に使うお金、そういうことを考える余裕が、
    日本人よりもはるかに少ないのではないか。

    実際、美術展、コンサート、そういったものも、日本とはけた違いに少ない。
    K国に来ても、それを解する人がすくない、と足元を見られているのか・・・
    日本にいた頃はしょっちゅう行っていた美術展も、
    たまに楽しみにしていたクラシックのコンサートも、
    大好きな洋楽アーティストのライブも、
    何もかも少ない。
    これは、やってもこれにお金を使う(使える)K国人が少ないからなのか・・・

    どっち向いても金、金、金。
    この話題に終始するK国人を見ていると、
    やはり老後は日本で心穏やかに過ごしたいものだと切に願う2014年の幕開けであった。



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